今日の尾鷲地方は雨。
時折強い雨が降っています。
今日はまず写真から。
写真は[葡萄のタルト]です。
無造作に乗せただけの何とも芸の無いトッピングですが…
この葡萄は皮ごと食べられるので、練り込んで焼かずに生のまま使いました。
独特の酸っぱさと、クリームの甘さが相まって、とっても美味しいです。
さて、今日の日記も新聞記事からの内容です。
6月24日付けの中日新聞のくろしお版に、[尾鷲ボウリングセンター]の記事がでていました。
[尾鷲ボウリングセンター]は昨年閉鎖いたしました。
開店からちょうど40年の節目でした。
私は以前[owasebon]の[尾鷲人]というコーナーにて、ある1級建築士さんに話をうかがったことがあります。
その建築士さん曰く、40年前の日本でのボウリングのブームは凄まじく、各所でボウリング場の建設ラッシュがあったそうです。
しかし、逆にブームが過ぎ去るのも早かったらしく、ボウリング場を建設している途中で、方向転換を余儀なくさされ、ボウリング場にならなかった建物もあったそうです。
それほどまでに当時のボウリングブームの熱は凄まじく、またブームが過ぎ去るのも早かった、といエピソードを聞かせたいただいたことがあります。
新聞記事によると[尾鷲ボウリングセンター]は、当時の市長の発案で、市が経営者を探していたそうです。
ボウリングセンターの経営者を探しているということで、オーナーに名乗り出たのは神戸出身の平島さん、という方。
ボウリングセンターのオーナーが神戸出身の方ということをこの新聞記事で初めて知りました。
40年間。
私も中学・高校の時はよく行っていました。
社会人になっても行ったことがあります。
40年間。
尾鷲の多くの人が訪れたと思います。
40年間。
本当にお疲れさまでした。
新聞記事を読んでいると、つくづく、娯楽施設の経営というものの難しさを痛感するとともに、商売の分野において『安泰』というものは無い、ということを改めて思い知ります。
不景気下では、娯楽や嗜好品に対するお金から削られていくものです。
そしてブームの熱が急速に加熱し、また急速に冷めていく怖さは、今も昔も変わりません…。
自分で商売をして生きていく道を選びましたが、常に、新しい試みをし、重荷になるものはすぐに脱ぎ捨てられるくらいの『軽さ』が必要だと、常に思っています。
ずっとこの仕事(カフェ)でやっていけたら、それはとても幸せなことですが、おそらく、近い将来、そうも言ってられない状況ががくると思います。
そういう状況になったとしても、軽やかに新たなステップが踏めるように、身体をほぐし、頭を柔らかくし、コツコツを知識を蓄え、技術を磨いておく必要があると思っています。
カフェのメニューには無い料理に挑戦したりするのこ、実はそういうこともあってのことです…。
なんだかストイックなことを書いてしまいました。
今日はこの辺で。
※タイトルは奥田民生の[月を超えろ]という歌い出てくる歌詞からです。
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