三重県の南部、尾鷲市にあるカフェ、scale-158での日常をお伝えします
by scale-158
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PROFILE
cafe Scale

開業:2002年2月
形態:カフェ

営業時間 8:00〜19:00
定休日 水・木曜日
住所 三重県尾鷲市宮の上5-11
電話  0597−22−5258

掲載写真の無断使用はお断りします。
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一刻の猶予もないこの街で(前編)
タイトルの「一刻の猶予もないこの街で」とは、[キリンジ]というユニットの[スウィートソウル]という曲の歌詞です。


キリンジ、大好きなんですよね…。

さて、日本各地に「一刻の猶予もない街」な状況の自治体は無数にあると思いますが、尾鷲もまたそんな町です。


以前の日記で、[DRAWING & MANUAL]のスタッフさんにお会いしたことを書きました。

[DRAWING〜]さんと一緒にお呼ばれしたその席では、尾鷲で途絶えつつある『大漁旗』についての意見交換でした。

尾鷲では現在、大漁旗を作る職人が1人しかいません。
東紀州(新宮〜熊野〜尾鷲〜紀北)、という区分で見ても、その人一人、という状況で、北部は松阪や伊勢市まで職人さんがいないそうです。
尾鷲のその職人さんも今は高齢になり、引退したり体調を崩されるともうその職業は尾鷲では途絶えてしまいます。

そのことに危機感を覚えたMさんは、東京の[DRAWING〜]さんにお願いして、尾鷲での大漁旗作りについての詳細な取材と、PR映像の製作を依頼したのです。

Mさんの最終的な目的は、尾鷲で作る大漁旗の担い手を探す事、弟子入り志願者をマッチングさせることにあります。(その方法の一つとしてのPR映像の作成です)


ではそもそも、その伝統産業は引き継いで残さなければならないものなのか、という意見がでました。
その意見を皮切りに、

・尾鷲の人は大漁旗を作るという職業が今後尾鷲から無くなってしまうことにどれだけの危機感を覚えているのか
・地元で大漁旗が無くなってしまうと、実生活でどういう影響がでるのか
・引き継ぎ手がいないということはそれだけ需要がないということ。弟子入り志願者を見つけたとして、今後の『食っていける』のかどうか

という、当たり前と言えば当たり前の意見(課題)が出ました。
(おそらく、これが例えば『大漁旗』ではなく、他の後継者問題がテーマだっとしても議論は同じプロセスを辿ると思います)


まず、『尾鷲の人がどれだけの危機感を持っているか』という点においては、おそらくほとんどの人がそのことを危機感とは思っていないはずです。なぜなら『それが無くなったところで自分には関係の無い事』と思っているからです。

昔は漁業に関わる人が多く居た尾鷲ですが(船を造る人、網を造る人、エサを売る人、道具を売る人、仲買人、魚屋さん)、だんだんその基幹に関わる『魚を捕って来る』に関わる人の数が減ってきています。
かつては漁業で潤っていた尾鷲も、今は漁業に関わらない人のほうが多くなっています。

だから、実生活の中で、漁業関係者以外の人で、普段の生活の中で大漁旗を目にする機会というのはほとんど無いのが現状です。
(↑ココ、重要。あとで試験で出てくるのでアンダーライン引いておくように!笑)

尾鷲に住んでいれば、尾鷲の大漁旗作りの職人が1人しかいないことは良く知られているところですが、実際にそれが無くなってしまうことに危機感を抱いている人は多くはないと思います。
(そもそも、大漁旗とは船が新造された時にそのお祝いとして贈られるものですが、船が新造されること自体が近年は稀な事なのです)

しかしこれは大漁旗に限ったことではなく、例えば尾鷲にある『ヤーヤ祭り』でも同じ事が言えますが、少しずつ参加する人口も減り、高齢化も進み、近い将来、従来通りの祭りの体勢を維持することが困難になると予想されています。(実際に既に『祷屋』を持つことが体力的に難しい地区が出ています)

が、ヤーヤ祭りにしても大漁旗の仕事にしても、『だから、将来的に無くなっても仕方ないこと』と簡単に切り捨てようと思っているわけではなく、『なんとか存続させたい』と思っている人のほうが圧倒的多数です。
(他人事のように思っていて、その一方で『誰かが存続させてほしい』とはなかなか虫の良い話だとは思いますが…)

その深層にはどんな『想い』があるのかは、大きく分けて

・一度途絶えてしまうと再興するのは困難になってしまう
・伝統行事というのはその土地にとって、その土地がその土地たる一つの『アイデンティティ』のようなもので、これがもし無くなってしまうと、もうその土地はどこに帰属していいかという一つの指標を失ってしまう

ということだと思います。


時々、市町村合併において、新しい行政区分の名前についてモメることがありますが、、、つまり、自分の住んでいた土地の地名が無くなってしまうことに抵抗を示す人がいますが、、、他の土地からしてみれば『なんだそれくらいのこと』ぐらいに思うかもしれませんが、アイデンティティの問題はそこに住む人達の結束力や帰属意識に関わる重大なことです。

『それくらいいいじゃないか』の『それくらい』を許してしまうと、徐々にその土地がその土地たるアイデンティティが少しずつ切り崩されていきます。

それが『時代の流れ』で『仕方のないこと』と思う人もいるでしょうし、いや、そういうことじゃない、という人もいると思います。


現在尾鷲の国道42号線は、ここ10年くらいで見事なまでに『ファスト風土』の道をたどっていますが、それを『便利でいいじゃないか』と思う人もいれば、『なんか、どこにでもあるような風景になってしまって嫌だ』と違和感を持つ人もいる、というのと同じ事です。

それがいいとか悪いとか、個々に判断はあると思いますが、『それでもギリギリまでその土地の個有のアイデンティティを残していきたい』と頑張っている人がいるのも事実です。

それは大漁旗にも同じことが言えます。
ほとんどの人が実生活において目にすることの無い大漁旗。
それが無くなってしまうことに危機感を抱いている人はごく僅かですが、もし、いざ「無くなります」、あるいは「今日で廃業です」、と突然に言われたら恐らく『なぜもっと早くに手を打たなかったんだ』という声が出るはずです。

つまり、それくらい大漁旗作りというお仕事が危機的状況であることを日常で感じている人はおらず(←日常で感じる機会がそもそも無いのだから)無くなって初めて『惜しいものを無くしてしまった』と気付き、「誰の所為だ」と文句の一つも言うはずです。



でも、その解決策として、『途絶えようとしている伝統産業の担い手をマッチングする』というのは言葉にするのは簡単ですが、実際に取り組むとなるとなかなかに難しいことだと思います。

しかし、以前、このブログでも書きましたが、岡山県で菜種油を作っているおじいさんところに若い女性が弟子入りして、その製法や精製機材、販路を全て譲り受けるという話(詳しく知りたい方はコチラ)。

ああいう奇跡的なマッチングの事例もこの世にはあるので、正しい情報発信と熱意が必要だと思います。


現実問題として、引き継ぎ手がいないことの要因の一つが『収入面』にあります。
ぶっちゃけ、収入面に何の問題のない仕事なら、担い手問題が起こらないはずです…

意見交換の場でも収入面においてはどうなのか、ということは寄せては返す波のように話題に上っていましたが、当たり前ですが、その答えは『厳しい状況である』としかいいようがありません。

その話(経済的な話)の延長上に『収入の面はさておき、この仕事をどうしても引き継ぎたい、という熱意のある人をマッチングさせないとダメなんじゃないか』という話にスライドするわけですが(そりゃ話はそういうふうに流れるのは当たり前のことです)、私が思うに、いわゆる『大漁旗をの注文を待って作るだけ』の仕事はこの先、先細りで、『大漁旗作り』をベースとした収入面は『低空飛行』を続けるか、『超・低空飛行』の状態になるのは明らかです。

『「それでもいい」と言ってくれる熱意のある人をマッチングさせる』というのは、精神論としてはよく解りますが、それでは結局将来的にわたって根本的な解決にはなりませんし、何より無責任ですし、やはりそれは理想論であって、現実的には難しいと思います。

でも『低空飛行ながらも需要はある』ことを前向きに捉えたとして、『それ(最低限の収入)以上の収入源を、それ(大漁旗作り)以外の所に求め、収入のボトムアップ(底上げ)を図る』ということに限って知恵を絞る以外は、どう考えても『建設的な意見』とは言えない気がします。

長い話で申し訳ありません…。

カフェの話に例えます…。

今のカフェスケールの主な収入源は、お客さんがカフェで飲食してくれる、その代金です。
それは一日平均いくらとか、一週間平均でいくらとか、月平均でいくらとか、年平均でいくらとかは計算できます。
売り上げが高い日もありますし、低い日もあります。が、1年通してみると、だいたい平均値から大きく外れることはありません。それは日々の努力と些細な変化によって何とかキープできています。

もし『それ以上の売り上げ』を求めるならば、カフェの売り上げをベースとして、他の仕事を多岐に渡って展開していくことが必要です。
うちで例えるならば、テイクアウトの焼き菓子の販売や、雑貨の販売、バレンタインやホワイトデー、クリスマス時の贈答用のお菓子のオーダーを多く取ることで、『ベースとなる(最低限)売り上げ + α』となります。

ベースを底上げする場合は、メインとなるカフェの仕事で頑張っていけばいいし、それではいずれ頭打ちだ、というのならベースはベースで維持したまま『+α』の部分をいかに強化していくかにあります。

うちのスタッフで言うならば、私の父と母はベースを維持するのに精一杯の年齢なので、『+α』を開拓していくのは若い私の役割です。

話を大漁旗に戻します。
現在80歳を超えた大漁旗作りの職人さんに『新規分野の開拓』は肉体的には無理です。
もし弟子入り志願する者が現れて、大漁旗作りを尾鷲で存続していくことを現実のものにし、しかも自分自身の『食い扶持』を獲得するには、大漁旗作りと平行して、『その技術を使った色々なアイデア』で商売を展開していくことが求められます。

ベースそのもののがボーダーラインがそもそも低く、そのボーダーラインがどうやっても上がることがないのであれば(需要が上がらないのであれば)、『ベースのボトムアップ』ではなく『+α』の部分がメインとなってくる可能性の方が大きくなってきます。

『その技術を使った色々なアイデア』の、その具体的な内容は、また頁を改めて書くことにしますが、おそらく、仕事の性格上、これからの時代、そのアイデアは(要約すると)

・『まちおこしにも繋がる商品の開発』
・『街作りのイベントと連動したPR方法の発案』
・『海外も視野に入れた販路の開拓』
・『誰か一人だけがその仕事を引き継いて細々と継続させていくのではなく、むしろ「事業」として展開し、従業員が雇える、もしくはワークシェアリングするくらい規模の大きなものに育てていく』

ということになっていくと思います。

どういうことかは、また頁を改めて書こうと思います…


もうそろろ、今日のこの日記を終えたいと思うのですが、最後に一つだけ。

集まって意見交換したその場では、引き継ぎ手をどうマッチングさせるか、ということと、(先述しましたが)やはり、「マッチングさせても、それで食っていけるのか」、ということについて主に心配している人がいました。

「誰かをマッチングさせたところで、その人のフォローを地元の人がしてあげらるのか」

という声も上がりました。

つまり、「せっかく後継者が見つかっても、その人が食っていけなきゃ意味ないじゃん。」
「そもそも定収入であることがわかっている職業に誰かをマッチングさせて、その後、その人はどーなんのさ?」
という心配。

それもまあ、そう思うのも当然のことだと思います。

でも、ここで一石を投じない限り、ずっと話はループしてしまうのですよ…。

『跡継ぎがいない』→『そもそも、跡継ぎが必要なの?』→『地元の文化を守るため…』→『じゃあ、その商売で食ってけるの?』→『営業と工夫次第によっては、あるいは…』→『やる気と熱意のある若い人なら…』→『その人を地元がどれだけバックアップしてあげられるの?』→『できるだけフォローはするつもりです』→『具体的にはどうやって?』→『…』

というふうになって、しーんとなっちゃって、また誰かが、『結局、収入面の見込みが無いようであれば、無理なんじゃない?』から『そもそも地元の人はその辺どう思っての?』っていう流れになって、結局精神論的な話で堂々巡りです。


とまあ、その場でいる人達によって、あーでもない、こーでもない、こういう売り方をすれば収入になるんじゃないか、こういう商品を開発すればウケるんじゃないかとか…。

この、『当事者不在』(←現在の大漁旗作りの職人さんと、そこに将来弟子入りしたい、という『架空の設定の人物』という意味での『当事者』)で行われるループ状の議論に私が投じたい一石というのは(とてもとても小さい石ですが)、

「商売なんて、誰にとっても未知数」

ということなのです。
(これもまた精神論的な結論ですけど)

私からしてみれば、ある意味、大漁旗作りという産業についてこれだけ議論して、考えられるだけの手だてを探ろうとしてくれているだけで随分「恵まれているんじゃないの?」とか思ったりするわけです。

「低収入なのがわかりきっている伝統産業の担い手になってくれる人」に対して、周囲の人が手厚いフォローをするのは良いことですし、それをやろうとしてくれている人に対してそれくらいのアドバンテージがあっても良いとは思います。

でも、伝統産業と言えど商売です。
商売なんてそもそも、『見通しが明るくない』んです。

うちもそうでした。

スケールはもうすぐ13年。今年で14年目に突入しますが、開業当初はこの先どうなるかなんて誰もわからない状況でした。
カフェを始めた時、けっこう耳の痛い嫌味を周囲の人にさんざん言われました。(親身になってくれる人に限ってけっこう厳しい言葉を浴びせるものです…)
はじめの1、2年しかお客さんが入ってくれない、だとか、尾鷲の人口はこれからどんどん減っていくのだからいつまでも続く仕事じゃない、だとか。

それでもなんとかかんとか売り上げを落とさず10年以上やってきました。

意見交換の場に集まった人達の中にも、私と同じような経験をしている人はいました。

都会から帰省してきて、数ヶ月で尾鷲でも有名になったお土産(マグロの角煮)を作った『K丸』さん。
同じく都会から帰省してきて、早田という地区で漁師になって、その後も『漁師塾』の活動を通して移住者を増やしているYさん。(この2人は、帰省して尾鷲で仕事をする、と尾鷲の家族に話した時、猛反対されたそうです)
同じく色々な職場を経験して、今は独立して尾鷲でデザイナーとして活躍しているHさん。
その場にはいませんでしたが、尾鷲で会社を興して明日がどうなるかもわからない状態から全国的に展開する会社にまで成長させた賀田のO社の社長夫妻。

みんな最初は不安でいっぱいで、周囲からの理解も得られず、孤軍奮闘しつつ、少しずつ成長させていき、周囲の信頼を獲得し、収入を得られるようになった人ばかりです。

誰もがみんな『確実な勝算』があったわけでないと思います。
(あるとすれば、『生きてくためにし続けた努力』と、あとは強いて言えば『根拠のない自信』だったのではないでしょうか…)


最初から安定して、将来的にも有望な商売なんてないんです、そもそも。

『当事者不在』で、その産業に関する議論をしても、結局は『精神論的に、芯となる問題の外堀を埋めただけ』(あるいは逆に外堀をさらに深く掘っただけ)の結論になるのが、せいぜい関の山です。

と、いうのが私の意見です。

でもこのことに危機感を持ってまず行動をおこしたMさんの存在はとても大きいとことだと思いますし、誰も見て見ぬ振りをしてきたこのとに対して、誰が一石を投じたか、ってこのMさんです。

その行動力には頭が下がる思いです。

色々と偉そうななことを書いてる割に具体的なことを何も書いていませんが、この話を『後編』まで引っ張って、素人ながらに考えるだけ考えたことを書いてみようと思います。
(『意見交換の場に出席して、精神論の結論に終わった』というのは私としても釈然としませんので…)

ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。
よかったら『後編』も読んでください(この時点ではまだ書いてませんので、何日後になるかわかりませんが…)


ご意見、ご批判あるかとも思いますが、ぜひ後半も読んでいただければ、と思います。







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by scale-158 | 2015-01-20 14:00 | owase | Comments(0)
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