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三重県の南部、尾鷲市にあるカフェ、scale-158での日常をお伝えします
by scale-158
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PROFILE
cafe Scale

開業:2002年2月
形態:カフェ

営業時間 8:00〜19:00
定休日 水・木曜日
住所 三重県尾鷲市宮の上5-11
電話  0597−22−5258

掲載写真の無断使用はお断りします。
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バードランドの子守唄
2月8日。晴れ。

今日はなぜか『バードランドの子守唄』が頭の中を流れています。
口笛ふいちゃったりなんかして。

だから今日の日記のタイトルにしたのですが、内容とは関係ありません。


今日の日記は別のところで書いたバラバラの日記をこちらのブログにまとめてペーストしておきたいと思います。(長いので暇な時にお読み下さい)



○アウトプットに関する2つの言説


とあるブログで、


弱さというのはアウトプットそのものではなく、ある種のアウトプットを生み出す「傾向」のことだからである。


という一文があって、それを読んでハッとした。

前後の文脈がないと『なんのこっちゃ』でしょうが。

良い言葉だと思います。


弱さというのはアウトプットそのものではなく、ある種のアウトプットを生み出す「傾向」のこと。


例えば、『疲れた』場合、『疲れた』そのもの(=アウトプット)が『弱さ』なのではなく、それ(=疲れた、というアウトプット)を生み出す『傾向』が弱さの正体である、と。

ま、当たり前っちゃあ当たり前なのでしょうが、実はその『傾向』を意外にも『好んで』生み出している『傾向』があり、それを自分の『弱さ』と自覚するのは大変難しいことであると思う。



もう一つ、別の場所で『アウトプット』に関する記述を読んだ。



「事後的に有用性が明らかになるモノを先見的に拾っておく」感性について繰り返し述べており、「その教育/学習はどのような効果が見込まれるのか」という問いを厳しく批判している。この観点から、アウトプットの定量を要求する経営主義的な学校運営に反対している。



これは某氏が教育に関する自分の立場を説明したもの。

最後の一文、『アウトプットの定量を要求する経営主義的な学校運営に反対』という部分。

これは『これこれこういう施策をとればこれこれこういう結果が得られます』という経営的なロジックを学校教育に応用して、その経営的戦術を学校施策に採用する、ということを否とする、という教育論を述べたものの一文ですが、私は学校教育の関係者でないので、その現場のことを詳しくは知りませんが、おおいに参考になる部分はあると思います。


この『学校運営』という部分を『まちづくり運営』という言葉に置き換えても、差し支えなくその説明が通るのではないかと私は思います。


あらかじめアウトプットが予測できるまちづくりって一体なんでしょうね。
単に一過性のイベントに過ぎないと思います。

もちろん、お金のからむことなので、経営的な観念をもたずにいたずらに使うわけにはいきません。

そういう意味では、市民活動グループのほうが身が軽く、自由な気がします。

まちづくりは、シムシティのような視座でおこなう数のゲームではなく、生の人間との向かい合い、人間を育てて行くことにほかならず、あらゆる予測不能の化学反応によって、刺激が生まれるものだと思う。
(良い方向に向かうか悪い方向に向かうかは事後的にしかわからない)

その最初の刺激を与えるのはそこに住む生の人間そのものであり、その連鎖反応で形成されていくものが町というものだと思う。


昨日、夕方の休憩中にテレビを見ていた時のこと。
過疎の町でまちおこしに挑んだ一人の男性がクローズアップされていました。

その男性の主張はシンプル。

・行政に頼らないまちづくり
・自主財源の確保
・全員参加のまちづくり

の3つ。


これがなかなか難しいとは思いますが、一人一人がこの仕組みの詳細を理解できるようになれば、大きなうねりとなって動き出すのは時間の問題です。

しかしやはりこの3つの考えを浸透させることが、一番の苦労所なんでしょう。




○思想の愉しみ


村上春樹の[走ることについて語るときに僕が語ること]を読むと、なんだか勇気づけられる、というか、シンプルな気持ちになれる。


村上春樹は、長編の小説よりもコラムのほうが好きだったりする。
思想する愉しみというか、好奇心の解放というか、そういう気持ちよさや心地よさを感じる。
(小説は自分にとってはヘビーすぎる部分がある)

それはそれとして、思想する愉しさを村上は与えてくれる一方で、『その思想は思想として』→『自分は自分として成すべきことを成す』というように心が整理されていく感じが、また楽しい。


自分は自分の仕事をキチっとこなしたい。
職人として与えられた仕事をまっとうにこなす人間でありたい。

でも実は「職人として与えられた仕事をまっとうにこなす」ためには「職人として与えられた仕事をまっとうにこなす」こと、ただそのことだけによっては、達成“できない”と思う。

「職人として与えられた仕事をまっとうにこなす」ためには、実はそれとは関係ないことをこなすことによって可能なのだと思う。

それは人によって違うのだろうけど、私にとっては「思想する」ことに他ならない。


「何かを達成する」のに必要なことは、我慢強さや根気強さではなく、、、それも必要だと思うけど、、、あちこちに関心が移ってしまうミーハーなマインドである、、、って誰か言ってくれないか。

私の場合そういう方法論でやっていきたいと思う。



○アンテナの感度


先日、京都・大阪に行った時、京都の恵文社に行って、たまたま目に留まった[山本七平]、『空気の研究』を買って、移動中読んでいました。

先日、[内田樹]の新書『日本辺境論』を読んでいたら、偶然に[山本七平]が引用されていました。

「日本辺境論」は内田氏曰く、「目新しい日本人論」ではなく、かつて色々な人が語ってきた日本人論に、少しだけエッセンスを加えたものである、と書いている。

かつて日本人論を書いた人として[山本七平]、[土居健郎]、[梅棹忠雄]、[ルース・ベネティクト]、[川島武宣]などをあげています。

で、結果をいきなり書いています。




私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。



と。


確かに、考えてみれば、日本人論を繰り返し読んでいる自分がいます。

[梅棹忠雄]の『文明の生態史観』は大学のゼミで、[ルース・ベネディクト]の『菊と刀』は高校生の時(!)に、[土居健郎]の『甘えの構造』は大学を卒業して帰って来て、図書館で借りてきて、[山本七平]の『空気の研究』はつい最近。


考えてみれば、ずっとその手の本を読んでますし、それらのバラバラのテクストはいつしか[内田樹]という人のもとへと集約していっています。

その他、日本人論以外の所では、[養老孟司]、[村上春樹]、[中沢新一]、[田口ランディ]などから得た知識もいつしか[内田樹]という人の渦の中に引き込まれているような気がします。




京都の大学を卒業して、地元の尾鷲に帰ることに、一つだけ心配事がありました。

それは「アンテナに引っかかる情報が少なくなる」ということです。

京都にいれば、好きな本屋さんもありますし、好きなCDショップもありますし(タワレコやHMVよりヴァージンレコードが好きでした。もう無いけど)、大学の図書館も利用できるし。

自分の好きなことに関する情報やトピックがリアルタイムでキャッチできる環境から離れることが嫌だったのです。


しかし、どうだろう。


京都で会社員をやっているのと、尾鷲でカフェの茶坊主をやっているのとでは、けっこうイイ線いってるかもしれません。

何がイイ線いってるか、って情報のキャッチが、です。


これだけ、偶然に好きだったものが、メルティングポットの中で一つになっていくように集約できているのは、仕事をしつつも、「そういう機会に恵まれたから」なんじゃないかと思います。

「そういう機会」はもしかしたら、京都で会社員をやるより、尾鷲でカフェの茶坊主をやってたほうが恵まれているのかもしれません。


カフェで働いている経験は、アンテナの感度を上げる作業に繋がっています。

情報が少ないからこそ、リアルタイムでないからこそ、タイムラグがあるからこそ、逃すまいと「自分なりのアンテナ」の感度が磨き上げられているのかもしれません。


京都だと多チャンネル、尾鷲だと高感度アンテナ、って感じか。

どこに住んでも同じだ。

自分が自分でいられる、環境に感謝。


さて、こんな長い長い日記、実はスルーしてもらって全然結構です。
今日の写真をば。

写真は[ペンネナポリタン]に目玉焼きをのせたものです。

バードランドの子守唄_c0092610_1231026.jpg


これはハマノ家のまかない料理です。
ランチで余ったペンネを使って、自分達のお昼ご飯になりました。
by scale-158 | 2010-02-08 23:25 | pasta
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