おはようございます。
今日の尾鷲地方は晴れ。
よい天気です。
[みやちとーる]氏の写真講座の1回目、みやち氏は色々な写真家の写真集を例に、写真のことを説明されましたが、その中に[佐内正史]氏の写真集がありました。
実は[スケール]にも[佐内正史]氏が写真を撮った本を置いているのですが、実はこの本は、私が買ったものではありません。
姉が買ったものです。
私どうしても[佐内正史]氏の写真の良さが理解できないでいました。
(正直今でも理解できません)
が、姉は買ってきたのです。
[佐内正史]氏の写真のどこに魅力を感じて本を買ったのか……どこかに姉は魅力を感じたのでしょうね。
[佐内正史]氏が放つメッセージに、姉のアンテナがひっかかったのでしょうね…
同じようなことは他の写真家にも感じたことがあります。
(つまり理解できない写真家が他にもいる、ということです。[川内倫子]氏とか…)
しかしよくよく考えて見ると、作品や表現にセオリーなど無く、どう撮っても、何を撮っても、何に魅力を感じてもいいんだよなあ、と改めて思います。
大衆に向けたメッセージではなく、ひっかかってくれる人だけにひっかかってくれたらいいメッセージ。
私はフリーペーパーやブログの写真を撮るために始めたカメラでもあったし、広告デザインやブランドの商用写真を見たりするのが好きです。
それらの一番のコンセプトは『わかりやすい』、『伝わりやすい』ということですし、大衆に向けてのメッセージです。
だから私の中では写真は難解なものや抽象的なものはNG、という基準がありました。
今でもそういう部分は多分にあります。
でも何も『キレイに撮る』『わかりやすいものを撮る』だけが写真ではないわけで……
自分が撮りたいもの、撮ってて楽しい、と思えるものを撮ればいいわけです。
写真講座でも[佐内正史]氏や[荒木経惟]氏の写真集を通して、セオリーなどを排除して、または先入観を排除して、いかに『自由であるか』ということを強調されていたように思います。
そして『出力された1枚の写真の持つ力』ではなく、『その行為』『そのコンセプト』『その観察眼』『そこから生まれるストーリー』『そこから生まれるコミュニケーション』が大事、というところまで連れて行ってくれたように思います。
一昨年、[金沢21世紀美術館]に行った時、ちょうと[ホンマタカシ]氏の写真展が開催されていました。
写真の大きさもさることながら、やはり本人による作品解説や、連作になっているものを見ると、得るものが多いなあと思いました。
写真1枚が語るメッセージや壮大さを私達は期待しがちですが、やはり『写真集』や『展覧会』というもののコンセプトや空間演出も含めて作品でありメッセージなんだなあ、ということを感じました。
そういうことを考えるきっかけにもなった、という店でもこの写真講座を受けて良かったなあ、と思うのでした。
また次回も、続きを書きたいと思います。
さて、写真は、[ウォーターマッシュルーム]です。
絞りをかなり解放にして撮影してみました。
カメラののモード機能ではなく、自分で設定して撮ってみました。
.