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開業:2002年2月 形態:カフェ 営業時間 8:00〜19:00 定休日 水・木曜日 住所 三重県尾鷲市宮の上5-11 電話 0597−22−5258 掲載写真の無断使用はお断りします。 以前の記事
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毎週一回、尾鷲高校美術部員による一品(逸品)だけの作品展示[いっぴんミュぜ]。
新しい作品の紹介です。 作品名:冬の夕やけ 作者:畦地ももこ 展示期間:2013年1月11日〜 これから以下は今回の作品とは直接関係無いことを書きます。 最近思ったことを書きます。 アート作品における『メッセージ性』というのは、『度合い』があります。 メッセージ性の強いもの、メッセージ性の弱いもの。 メッセージ性の度合いの強弱…それは制作者の『制作の意図』によるものです。 『メッセージを伝えたい』という意図で作られた場合はその度合いが強くなりますし、『自分の作った作品がどう伝わろうとかまわない』という場合はその度合いが弱まります。 よくありますよね? 自分の想いを伝えたい、という人と、 『見た人がどんな印象を受けるか、それはそれぞれに任せます』という人に、 アートというのはデザインと違って、制作者がどんな意図で作ろうと自由ですし、またその作者の手を離れたその作品が、観賞した者にどんな印象が伝わろうとも、観賞した者がどんな風にとらえようとも、それもまた自由です。 (そこがデザインとは大きく違う点です) つまりアート作品の場合、メッセージ性の度合いが強かろうと弱かろうと、どちらでも良いのです。 (わかりやすい、わかりにくい、というのは大衆的に受けるとか受けない、ということに関わってくるので、どこにポイントを置くか、ということですが。) 『テーマ』や『テーゼ』と、『メッセージ性』とは似て非なるものです。 テーマやテーゼは制作者が制作する屋台骨になったりモチベーションになったりする根幹のようなもので、どちらかというと内向きなものだと思います。メッセージ性は自分の意図を外に向かって表現する外向きなもだと思います。 作品の解説やキャプションというのは、自分のテーマやテーゼを解説するか、メッセージ性を伝えるものかもしれません。 絵では表現しきれない部分を言葉で補うこともあるでしょうし(本当は100%絵で表現できればいいんでしょうけど)、内向きのテーマやテーゼを伝えるにはよい手法です。 ただ、『諸刃の剣』の部分もあって、例えばメッセージ性を伝える場合、『観賞の方向を指示する』ということにもなります。 鑑賞者が想像する余地を奪ってしまう可能性もあります。 もっと言ってしまえば、『鑑賞者が想像する余地』というのは『制作者のテーマやテーゼに迫る事』(内面)でもあるので、本当はテーマやテーゼを解説する必要もないのかもしれません。 が、鑑賞者のほとんどは(私を含めて)、だいたいにおいてその作品の表面的な部分しか見えないものなので、テーマやテーゼ(内面)、メッセージ、制作の意図を言葉や文章で説明してあげたほうが、より長く、より深く観賞してもらえます。 実際、私も、美術館などで作品を観賞する時に、ヘッドフォンで聞ける『音声ガイド』があれば必ず借りるようにしています。 作品解説がわかりやすく、ガイドが無いと見過ごしてしまいそうなほどの細かい点も観賞することができるからです。 どこまで解説するか、どこまで説明するか、制作者と鑑賞者がより良い距離を計れるポイントを探す、というのはとても難しいことでもあります。 批評家、というのはその点においてすばらしい着眼点や読み解く能力…まさに批評力が優れているのだと思います。 美術作品を日常的に観賞する習慣。 鑑賞者に必要な批評の能力の向上。 そして批評家の批評の視点や考察を学んだ上での制作。 [いっぴんミュゼ]は、そういうことを学ぶ場であってもいいのだと思います。 すでに長い文章になってしまいましたがもう少しだけ… 先日、NHKの番組で[坂本龍一]が出演している番組を見ました。 [スコラ 音楽の学校]という番組名で、もう第1シーズン、第2シーズンが終了し、私が見たのは第3シーズンの第一回目の放送でした。 テーマは『映画と音楽』。 映画と音楽の関係を、その歴史を紐解きながら解説・トークをし、または実際に映像を見ながら即興で音楽や音をつけるというワークショップをするという内容でした。 ワークショップ、とても面白かったです。 渋谷のスクランブル交差点を映した映像が流れて、それに音楽を付けるというものです。 ただの交差点の映像です。 そこには意味もメッセージ性もありません。 でも、そこに音楽を付けると意味を持ち、たちまち作品になります。 もっと言えば、音楽を付ける前に、『この映像に音楽を付けてみてください』とテーマを与えられたその瞬間に、すでにその映像は作品を化しています。 言ってる意味わかるでしょうか? 「そこに意味を見つけようとした瞬間」から、それは作品になるのです。 番組では直接的にそこまでは言及していませんでしたが、音楽を付けることによって意味が生まれることを指摘し、また意味を付けようとした瞬間にその映像の『構造分析』が始まることを示唆していました。 無意味なものに意味を見出そうとするのは一種、『人間の習性』であり、もっと言うと『脳のくせ』です。 優れたアーティストやメッセンジャー、メタファー使いの名手は、それを逆手にとって作品作りや表現をしているのだということがわかる好例だったと思います。 (このNHKの番組についてのことはまた改めて日記で書きたいと思います。) 私は、よく思うことがあります。 『表現とは複合的なものである』 と。 絵画は絵画だけで成立しない。 写真は写真だけで成立しない。 音楽は音楽だけで成立しない。 映像は映像だけで成立しない。 文学は文学だけで成立しない。 詩歌は詩歌だけで成立しない。 服飾は服飾だけで成立しない。 料理は料理だけで成立しない。 これには2つの意味があります。 一つめは『相互に関係している』ということ。 絵を描くにしても文学的なセンスは必要ですし、詩歌を詠むにも音楽的なセンスが必要です。 写真のアングルや被写体深度という知識は、絵画においても映像においても基本となる概念だと思います。 もう一つは『プラス、人』ということ。 それを見る人、聞く人、読む人、食べる人、着る人。 それで初めて成立します。 私が高校生に伝えたいのは一つ目の意味です。 色々なモノに触れ、、、例えば写真に対して詩歌的な解釈を試みる、とか、絵画に対して構造分析的なアプローチを試みる、、、とか、そういうことを試みて欲しいのです。 そういう所まで昇華できるようになれば、きっともっと面白くて、ドキドキするのではないかと思うのです。 『高校生ではそこまで無理!』と言う人がいるかもしれません。 が、今の高校生を見てるととても面白くてそういうアプローチができる子も絶対にいると感じるのです。 30歳を超えた人文学好きのカフェのオッサンは、そう思うのです。 .
by scale-158
| 2013-01-15 14:26
| ippin muse
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