東京は下北沢に好きなカフェがあります。
そのカフェのオーナーのインタビューを読みました。
そのオーナーは特にカフェの売り上げのみで生活していかなかればならないような生活環境ではなかったので、、、つまり、それは趣味の延長であり、自分の中でのイメージを具現化したものが空間(カフェ)であって、生活の手段ではなかったので、パートナーと一緒に『アキ・カリウマスキの映画に出てくるような暇なカフェがいいね』と冗談まじりで話していたのだそうです。
が、幸か不幸かカフェの神様はそんな彼らの願いを叶えることはなく、オーナーのイメージする『暇なカフェ』とは裏腹に、想像を絶するような忙しに見舞われ、たちまち繁盛したカフェになったそうです。
おそらくこのオーナーは、絶妙なバランスでの力の抜け具合を持ってたのではないでしょうか。
売り上げを上げるために、色々な工夫を凝らしても、繁盛しない時はあります。
また、想像もしていないようなものが注目されたりもします。
『暇なカフェがいい』という力の抜けたスタンスがよかったのかなあ、と思います。
『暇なカフェ』が繁盛したのは、もしかしたら、その当時のその土地のその人々が、同じく『暇そうなカフェに行ってみたいな』という感覚や空気を共有していたからなのかもしれません。
なんでもかんでも飾り立てようとしてしまいがちですが、一度立ち止まって、不必要なものをとりのぞく作業のほうが大切ですし、その『引き算のセンス』の方が『足し算のセンス』より何倍も難しいと、そう思います。
さて、写真は[なめらかプリン]です。
もともとはまかない用につくったものでした。
派手でもなく、とりたててめずらしいものでもないので、スタッフ作ってスタッフで消費していたのですが、あるお客さんに出したところ大好評!
それ以来時々メニュー用につくります。
スイーツもインテリア同様、飾り立てたものがかならずしもうけが良い、とは限らないようです。